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油性ワニス

油性ワニスは当社の源流製品です。以下はこの油性ワニスについて記した当社社史の抜粋です。

 

電気機械の製作に不可欠な電気絶縁材料は、明治時代、ほとんどを外国製品に依存していた。その主なものは、アメリカのスターリングワニス社製、同じくアメリカのスタンダードペイント社製などであった。なかでもスターリングワニスの品質と特性がわが国の需要者に好まれ、絶縁ワニスの標準品として信頼されていた。しかし、海を越えて輸送されてくるため、輸送中の高温、高湿度の影響を受けて変質することが多く、また湿度の高い日本の気候に合わず、絶縁劣化の事故も少なくなかった。一方、国内でも数社が欧米電機メーカーと提携し、電気絶縁材料の製造を開始していたが、いずれも組成については秘密主義をとっていた。こうした事情から、日立製作所では、電気機械製品の国産化を図るためには絶縁材料の自給が不可欠であると考え、明治45年(1912)からその研究に入った。

 

明治45年(1912)7月、日立製作所に入社した吉岡(吉岡藤作、京都帝国大学にて電気化学を研究)は、カーバイド部門の整理を行なっていたが、同年8月、小平(小平浪平、日立創業社長)から日立製作所が使用しているスターリングワニスを渡され、その試作を命ぜられた。
見本のワニスは、ドロドロした黒味がかった油であり、たぶん乾性油を原料としてこれを煮たものであろう、という程度の認識から出発した。
吉岡はカーバイド倉庫の一隅と屋外を使って試作を開始したが、のちにカーバイド倉庫の東側に木造の作業場を建てた。広さは26.4m2(8坪)というささやかなものであったが、この中央にレンガ積みの炉を置いた。その上に廃品利用の製銅用トリベをのせ、その中に乾性油を入れて焚いた。
試作を開始してから2ヵ月後には、現場で試用する程度のものができ上がったが、品質面ではまだまだ不十分であった。

吉岡は大正2年(1913)、大学の要請に応じて京都へ戻り、3年(1914)4月に入社した横田兼吉が研究を引き継いだ。横田は外国製ワニスの組成を分析し、コーパルなどの天然樹脂が含まれていることをつきとめ、油性ワニスの試作は軌道に乗った。
そして、大正3年7月、ついにコイル含浸用のA号ワニス(W-28相当品)が完成した。このワニスは、アマニ油を加熱濃縮し、溶融コーパルを加えて溶剤で希釈したものであった。このA号ワニスは、その後改良を加えて、標準絶縁ワニスとして長く使用されることになる。また、同年10月にはセラックを用いた黒色仕上用のB号ワニス(W-10相当品)の製造を開始し、続いて各種のワニスとコンパウンドを製品化し社内で使用した。

(日立化成工業社史1より抜粋)

日立ワニスレッテルの画像
日立ワニスのレッテル(大正13年)

初期のワニス釜の画像
初期のワニス釜(大正元年ころ)

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